八支則のヨーガ、最終段階へ向かう
こんにちは。
「穏やかな心を養うヨガ哲学」シリーズも4回目になりました。
いよいよ、ヨガの境地へと話は深まっていきます。ヨガとはただの健康体操のみではない、穏やかな心を養うためのツールであることはご理解頂けたかと思います。今回はついに、八支則のヨーガ、ヨガを8つのステップで深めていく階段の第6段階目~8段階目(ゴール!)についてご説明致します。
ヨガの八支則 第6段階目~8段階目
第6段階目は、ダーラナーと言われる段階です。
日本語に訳すと「集中」という段階です。日常生活が整い、アーサナで体も整い、呼吸も整った。そして感覚器官の制御も覚えた。次の段階になります。ヨガスートラというヨガの経典によると、「集中とは、心を一つの場所、対象、あるいは観念に縛り付けておくことである」と記されています。
集中は、意識的に作り出すことが出来ます。
たとえば、趣味の編み物や読書、映画鑑賞など、なんでも良いです。とにかく意識が散漫になりそうになったらすぐに対象へもどす、このようにして鍛錬していきます。「今の状態」へ集中していくのです。 そうすると、いつの間にやら次の段階が訪れることでしょう。
第7段階は、ディヤーナです。
日本語に訳すと「瞑想」です。仏教でいうところの禅です。余談ですが、インドからディヤーナが伝来する際、中国でその音から「禅那(ぜんな)」と訳されたものが日本に「禅」として伝わったそうです。そんなディヤーナですが、対象に対して集中という糸を垂らし続けますと、このようなことは経験ございませんか。時間があっという間に感じた、という経験です。
たとえば子供が遊びに夢中になるあまり、親との約束の時間を過ぎても帰ってこない。待っている親としては長く長く感じる時間、遊びに集中している子供は、同じ時間なのにとても短く感じる。時間の流れの感覚が違うのです。大人になっても、好きなことに熱中していると時間が早く過ぎてしまいますよね。
それはもう、この段階なのです。意識して集中しているうちは、まだダーラナーの状態ですが、無意識に集中が深まっている状態はディヤーナです。
第8段階、ヨガの境地サマーディという段階です。仏教でいう「解脱」「悟り」「ニルヴァーナ」という段階です。
いかにも、高僧でなければ至ることができないように感じますよね。ただ、そんなに難しいことではないようにも感じます。スポーツ選手などは、無意識のうちにこの状態に至っている可能性もあります。
例えば試合中に「ゾーンに入る」という状態でしょうか。
時間の感覚が消失するディヤーナの段階がさらに広がり、自分と対象があたかも一つ、一体であるかのように感じる感覚、それがサマーディであるとされています。梵我一如、といいます。 この段階は、言葉で説明するのは難しい、とヨガスートラ編纂者のパタンジャリも書いていますので、私ごときが饒舌に語ることなど到底無理ですので、そのようなものなのかなぁ、といった感じで読んでくださいね。
私たちとヨガ
なんだか、悟りだとかゾーンだとか、一般人の私たちに関係があるの?
修行僧でも、スポーツ選手でもないし、第一そんなややこしいことできる気がしないしやりたくもない!なんて思ってしまいますよね。でも、違うんです。
現代に生きる私たち、一般人も、そうでない人たちにも、ヨガは必要であり、可能であり、私たちの人生を明るく照らしてくれるものだと思っています。
情報化された、欲しい物はお金を払えば大概手に入る社会、核家族化し、孤独死が問題となる、そんな現代社会を生きる私たちは、ヨガが始まった数千年前のインドとは大きく環境が異なります。しかし、数千年こうして伝わっていることには理由があります。人間を含む動物は生まれながらにして、幸せを求めています。数千年前も、現代もそれは変わりません。
朝顔は太陽の方にむかって花を咲かせ、キリンはより高いところの餌を食べることが出来るよう首をながくして進化する。
それは全て、幸せになりたいというエネルギーが働く為です。生きていると、いろいろなことがあります。望んでいること、望んでいないこと、それは平等に私たちに降りかかってきます。生を受けることは喜ばしい、しかし生まれるということはいつか死んでいくということ。死を怖がって毎日暗闇を歩いているのでは、幸せではありません。他人と比べて、自分を卑下してばかり、悪口を言ってばかりでは、幸せではありません。幸せとは、心の平安です。心が穏やかなことが、一番なのです。
ヨガを行う目的はそこにあります。
サマーディというヨガのゴールに向かうためには、「今」への集中がとても大切です。今に集中していくことで、不安や過度な期待や迷いがだんだんと薄れていきます。恐れや不安、後悔、期待という状態は、過去や未来に対して思いを馳せることにより起こります。今の積み重ねが未来に繋がっていきます。今を大切に生きる、そんな先人の叡智が、ヨガなのです。
とはいっても…
そうはいってもね。締めたふりして、まだ続きます。ヨガを生活に取り入れるのは、なかなか難しいですよね。
週1回、お教室に通うことから初めてみてください。それも難しければ、家でできるようDVDや書籍、動画などをご準備ください。継続が力になります。ただ、いいんです。 結局続かなかった、だめだったー!!となっても、ご自分を責めないことです。受け入れること、それがヨガの教えでもあります。
そして、ヨガにおいて人生は修行の場であると考えられています。すべてが思う通りできて、心もいつでも何がおきても穏やかだ、なんて方はもう、修行する域ではないです。輪廻転生してくる必要がない、神様です。
人間として生まれてきた以上、やるべき仕事、取り組むべき課題があるのが当たり前です。
簡単にこなせる課題ばかりではないはずです。ですので、一度ダメだったら、もう一度、繰り返しチャレンジしてみればいいのです。私もその繰り返しです。ヨガの教えのとおり、穏やかに過ごせたなあ、と思ったらまた乱れる、の繰り返し。それが修行であり生きている意味なのだから、うまくいかなくても落ち込む必要はないのです。すこし心が楽になりましたでしょうか? とにかく、少しでもいいので、ヨガをはじめてみてくださいね!
私の主宰するヨガ教室では、レッスン冒頭でヨガ哲学についてお話させていただいています。
横浜の曹洞宗寺院で穏やかな心を育むヨガ教室、開催しています。少しでもご興味あればお気軽に、ご参加くださいね。
https://nilayogayokohama.jimdo.com/
参考:インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)
スワミ・サッチダーナンダ (著)、 伊藤 久子 (翻訳)