お寺ヨガとは
こんにちは。みなさん、お寺ヨガって、聞いたことございますでしょうか。
私は、4年ほど前から自宅近くの曹洞宗寺院の一室をお借りして、ヨガ教室を開催しています。
私は幼いころから、歴史を感じさせる場所が不思議と大好きでした。
得意な教科は歴史でしたし、小学校で一番好きな部屋は、地域の歴史がわかる社会科資料室でした。
また、幼いころから肉や魚が苦手で、今となってはベジタリアンになってしまったのも、仏教の不殺生戒の教えのような気がして、神社仏閣に勝手にご縁を感じてしまうのです。大好きなお寺で、大好きなヨガを伝える、という夢のような私の希望が叶い、私のようにお寺ヨガ好きな生徒様がお越しくださり、なかには遠方からお越しくださる方もいらっしゃいます。
生徒様も私も同じ気持ちですが、お寺でヨガや座禅、瞑想を行うと、本当に心地が良いのです。
それはなぜなのか。そこには理由があるのです。
純粋なエネルギーのお話し
ヨガ哲学において、この世は3つのグナ(要素)からできていると考えます。
そのうちの一つが、サットヴァと言われる要素です。純質、あるがままの、純粋なエネルギーのことです。
曹洞宗は禅宗で、掃除も修行の一環ということで、お手入れが行き届いています。
ヨガの八支則にもございますが、ヨガを深めるためには、シャウチャ(清浄)が必要になっておりますので、大変ふさわしいのです。
その、整えられた空間は非常にサットヴァなエネルギーが満ちています。
般若心経に「菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 ボダイサッタエハンニャハラミタコ」という一説がありますね。
この、ボダイサッタはbodhisattvaと書きます。
後半にsattva、つまりサットヴァですね。
ヨガと仏教
ヨガと仏教には深いつながりがあります。
紀元前500-600年ごろのブッダの生きた時代、インドは宗教や思想の活発な時代でした。
司祭中心のバラモン教では、神と繋がれるのはカースト制度の最高位のバラモンだけでした。
その下の階級の人々が、自己救済の手段として、様々な思想を作っていった時代でした。
当時の原始仏典の中に、ヨーガという言葉が精神集中の意味を持って書かれており、その後のヨガについて書かれている書である、ウパニシャッドやバガヴァッドギーター、ヨーガスートラにも影響を与えていると考えられるのです。
そうなると、インドで始まったヨガ、ヒンドゥー教、仏教がつながりをもって考えられるのです。
お寺でヨガをすると心地よいのは、もともとがお寺で始まったものだからなのかもしれませんね。
意外と大事な環境づくり
私がヨガ教室をする場所としてふさわしいと考えるのは、意識が散漫とならない場所です。
以前、あまりに桜の花がきれいで、マットをもって公園に行き、桜の下でヨガをしました。
インスタ映えする写真は取れましたが、まったく心は集中できませんでした。なぜかというと、心は満開の桜に夢中だからです。
ハタヨガプラディピカーというハタヨガの経典には、「修行する部屋は小さなドアに、窓や穴や隙間がなく、高すぎず、低すぎず、汚れなく清潔で、牛の糞によってぬぐわれて、動物や虫の害から離れ、外には草ぶき屋根の壇があり、井戸があり、塀に囲まれている。庵室は心地よいものであるべきである」と書いてあります。
牛の糞…とは、現代の日本には合いませんが、参考にはなりますね。要するに、できるだけ外の世界に意識が向かない場所が良いのです。
お寺はお寺でも、あまりに荘厳できらびやかな仏さまの前では、集中を保つのは難しいかもしれません。
しかし、私の主宰する教室のお部屋は質素で、集中を保つのにふさわしいと考えています。
ぜひ、お寺の雰囲気を感じに、寺ヨガ体験にいらしてくださいね。
私の主宰するヨガ教室では、レッスン冒頭でヨガ哲学についてお話させていただいています。
横浜の曹洞宗寺院で穏やかな心を育むヨガ教室、開催しています。少しでもご興味あればお気軽に、ご参加くださいね。
https://nilayogayokohama.jimdo.com/
参考 ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 全編 成瀬貴良 訳・解説