禁欲(ブラフマチャリ)はそのままの意味だが…
前回はヨガの八支則の「禁戒(ヤマ・やってはいけないこと)」のひとつである不盗(アステーヤ)について解説しました。今回は禁欲(ブラフマチャリ)について説明します。禁欲(ブラフマチャリ)はその名の通り、性行為を絶つことです。ヨーガスートラが出た紀元前4000年頃のヨガの修行僧の間では性行為を禁じられていました。性行為を我慢することでパワーが得られると考えられていたからです。ヨーガスートラによると性行為で使う精力をヨガに対するエネルギーに変えていくそうです。
ただ、禁欲(ブラフマチャリ)は時代とともに意味合いが変わり、性行為を絶つ「禁欲」的な意味合いが薄くなりました。どうして変わり、どのように変わったのでしょうか?
禁欲(ブラフマチャリ)も時代と共に変わる…
禁欲(ブラフマチャリ)は「性行為を絶つ」意味合いから「性行為を制限する」ものに変わりました。自分の快楽の為、欲望の為、たくさんの人とたくさんの回数の性的関係を持ってはいけないという意味合いに変わりました。今の世の中は快楽の為、好きな人と愛を深めるため等、様々な状況があります。完全に性行為をセックスをしてはいけないという意味ではないのです。
禁欲(ブラフマチャリ)は愛があれば大丈夫
禁欲(ブラフマチャリ)においては欲望と愛のある性行為は別です。愛する人との性行為はOKだそうです。愛を深める為や愛する人の子供を作る為の性行為は大丈夫です。実際にインドに行った時に子供のいるヨギーもいました(もちろん、ヨギーだからということで禁欲を貫いている方もいました)
その反面、都合良く解釈しているヨギーもいたので、「君のことを愛してるよー」と初対面なのに性的関係を持とうとナンパをしてくる方もいました。実際、インド人は自分の国以外の人は性に奔放だと思われる為、禁欲(ブラフマチャリ)の対象外だと思う人もいるみたいです。実際、あるヨガの指導者は禁欲(ブラフマチャリ)を都合良く解釈し、トラブルになったとか…。
禁欲(ブラフマチャリ)も色々と説がある
最近、知り合いと禁欲(ブラフマチャリ)のディスカッションをして、「人に売られて売春婦になってしまった方は禁欲(ブラフマチャリ)を守れていないことになるのか?」という話になりました。これは難しい話かと思いますが、私がインドで習った時は「禁欲(ブラフマチャリ)には欲望が無ければ大丈夫」と先生が話してました。つまり、自分の快楽の為に性行為をしていなければ、売春婦の方でも大丈夫なのではないかと思います(そう言わないと自分の意思で関係なく売春婦をやらされている方に救いがないと思います)
次は禁戒(ヤマ)の最後ではある不貧(アパリグラハ)について説明します。