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祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)=神頼みという訳ではない?!
前回は観戒(ニヤマ)のひとつである読誦(スヴァーディーヤ)を解説しました。今回は観戒(ニヤマ)の最後である「祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)」を説明したいと思います。祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)とは神に祈ることを意味します。これはただ、神様に祈って神頼みをするだけのものではありません。もちろん、祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)にも色々な意味合いを込められています。今回も今までインドや本、ディスカッションなどで学んだことをシェアしていきたいと思います。
祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)の目的は三昧(サマディ)に近づくこと
祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)の目的はヨガの八支則の最終段階である「三昧(サマディ)」に近づくことです。「三昧(サマディ)」の状態は一般的に言うと悟りを開く状態になります。自分自身を内観し、執念・怒り・苦しみなどの心の乱れを無くし、過去からの妄想・未来への不安もかき消し、心が幸せに満ちた状態になります。まるでこの世のすべてと繋がっているような錯覚を味わう為、祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)の状態を言葉で表すと「オーム」というヨガの聖音で例えられます。「オーム」の意味は宇宙と自分自身を繋ぐこと。インドでのヨガは祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)する時によく「オーム」と唱えているのは、こういう意味合いがあるからです。
祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)においての神は自分自身?!
祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)は誰に向けて祈るのか?そう思われた方もいるかと思います。神様に祈りを捧げてパワーを借りるという考えもありますが、私が聞いたものの中でインパクトがあったものは「神様=自分自身」であること。つまり、自分自身に祈るということです。これを聞いた時は神様は自分の心の中にいるとのこと。その神様はどうにかしてもらうのではなく、自分自身で進む道を決め、それに向けて行動をサポートするもの。つまり、自分自身で人生を切り開く為に存在するのです。
祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)が終わったところで禁戒(ヤマ)・観戒(ニヤマ)のまとめ
祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)を最後にヨガの八支則のヤマ・ニヤマについてのシリーズが終わります。記事を執筆して改めて感じたことは自分でも実践しきれていないと思う程難しく、「これは禁戒(ヤマ)なのかな…?」という形でグレーな部分で悩む場面が多いかと思います。このグレーな部分に悩まされつつ、考え、実践することが禁戒(ヤマ)と観戒(ニヤマ)ではないのでしょうか?
もしかすると、極端に言えば八支則全部実践をすることができても禁戒(ヤマ)と観戒(ニヤマ)は完璧にこなすことは永遠に難しいことではないでしょうか?私達、人間が生きる上での永遠のテーマなのかもしれません。
【ヨガの八支則のヤマ・ニヤマについてのシリーズ一覧】